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釈阿理のひとり言

『老人の最後の仕事は次の世代に死に様を見せること』

2023年09月03日

タイトルに使わせて頂いたのは【大往生したけりゃ医療とかかわるなの著者、中村仁一医師の言葉です。老人ホームの付属診療所所長を長く勤められ、たくさんの高齢者を看取られてきた医師で、自然死や在宅死の現実について積極的に発信されました(2021年06月帰幽)。実は釈阿理も両親の介護中に知人から【大往生したけりゃ~】の本をご紹介頂き、本当に目からウロコが落ちた思いでした。

人は、命あるものは、必ず死にますですから死は本当は特別なことではないはずですね。でも生きている人々は経験したことが無いし、死んで戻ってきた人から話を聞くこともないので、死という未知の世界はひたすら怖い訳です。

殆どの人が病院で死ぬ現代。具体的な『死』までのプロセスも、『病院』と言う密室の中で行われ、親族ですらその全てを知ることは難しいのが現実です。だから余計に死が怖くなるのでしょうね。

タイトルの一言は、釈阿理にとって本の題名よりも衝撃的でした。でも次の瞬間、『ごもっとも!』と感服致しました。

 
私の現在の主治医も高齢者医療の専門医です。彼も『死ぬときはガンか孤独死が良いね』と仰います。医師で『ガンで死にたい』と仰る方は少なくないようですね。『予後の予測が付き、死への準備が出来るから。』と言うのがその理由のようですが、一方で無理な延命治療をしなければ、ガンは案外激しい痛みが出にくい事を、医師だからこそよくご存知なのかも知れません

釈阿理の父は87歳で末期の膵臓ガンが発覚しました。
軽い脳血管性の認知症がある昭和一桁の頑固親父は、母が旅立ったあと最後まで一人暮らし。やがて一人暮らしが困難になり、半年ほど前から老人保健施設にお世話になっていました。さてどうするか?


もし釈阿理が『大往生したけりゃ~』の本に出会っていなければ、もし、苦しいがん闘病を自身で経験していなければ、恐らく87歳、末期膵臓ガンの父に治療を受けさせていたと思います。『膵臓ガンの末期は激しい痛みで死ぬほど苦しい』とも言われますからね。治療しない選択は考えられなかったと思います。

しかし・・・。父を診察した専門医は、『このご年齢ですと抗がん剤は非適応ですね。手術も体力的に厳しいですね~』と言うではありませんか。『ではどうするのですか?』と訊ねると、『このまま様子を見るというか・・・』あとはだんまり。
『余命は?と訊ねると、『そうですね。何もしなければ3ヶ月くらいかな~』『でもね、強い痛みは出ない可能性が高いですよ。』と一言。

釈阿理としては、自分自身が半年間入院しての抗がん剤治療で『再発したら絶対に治療はしない!』と誓った程辛い思いをしていますから、とてもじゃないけれど衰弱した父にあんな辛い思いをさせたら命を縮めるだけ!と思いました。
病院を出る時点で釈阿理の気持ちは決まっていました。何もしないと。そう、父の方から聞いてこなければ告知もしないと決めていました。

実はその後がちょっと大変で、老人保健施設は即日出て行って欲しいと言われ、幾つか当たった病院は、何れも『治療出来ない末期ガン患者は受け入れられない』『ウチは麻薬を使えないので、末期の膵臓ガンには対応出来ない』、ホスピスを当たっても『空きがない』と言われ、受け入れ先がありません。
現在の私の主治医が『余命3ヶ月と言われているのなら』と父を引き受けてくれました。

入院直後、殆ど一人で歩けなかった父が、せんもう現象もあってか2階の病室から階段を使って脱走を試みました。それも2回もです。もう命の終わりが近い事を、本能的に感じていたのでしょう。家に帰りたかったのだと思います。しかし頑固親父のこと。万が一、一時帰宅させて『病院には戻らない!』と言われても困るので、希望を叶えてあげる事は出来ませんでした。やむを得なかったとは言え、これは心残りです。

そして父は、自分の病状について訊ねることもなく、痛みや苦痛を訴えることもなく、主治医の予見した通り、ほぼ3ヶ月後に静かに旅立ちました。
朝はちゃんと食事をし、午前中は若い看護師さんとお喋りをして、お昼前に様子を見に行ったら呼吸が止まっていたそうです。
病院から呼吸が止まったと連絡があり、10分ほどで到着した時には既に父の額は冷く、眠っているように静かな様子でした

父は私に『死に様』を、命が燃え尽きてゆく様を、しっかりと見せてくれました。中村医師の言葉を借りれば『老人としての仕事をちゃんとこなした』訳です。
生まれて→成長して→成熟して→衰退して→死を迎えるこの大自然のルーティンから目を背けてはいけないですね。

『あれで本当に良かったのかなぁ』との想いがゼロかと問われれば『Yes!』とは言い切れませんが、後悔はしていません。そして自身の老後を考えた時、やがて自分にも同じ『命の燃え尽きてゆく時』が来ることをしっかりと意識します
だからこそ、今日が大事。今が大事。『時は金なり』ではなくて『時は命なり!』。あるがままに一生懸命生きて、あるがままに人生を閉じられた本望と思います。

明日も素敵な1日でありますように!
釈阿理 合掌
 


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