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釈阿理のひとり言

介護は親のために非ず?(釈阿理の体験談)

2023年05月02日

五月になりました。春の大型連休真っ最中ですね。どうやら連休後半も3~5日はお日様マークのようでホッと一安心です。
五日=子供の日は暦の上では『立夏』。確かにお天気が良いと『初夏』を感じる陽気になりました。

さて、今日はちょっと刺激的な表題を付けました。とはいうものの、実はこのフレーズ、介護にお悩みのクライアントさんに対して、私がよくお伝えする一言なのです。『えっ?そんなこと言っちゃって良いの?』って驚かれましたか?
良いのです。不仲の両親を別々に一人で12年間介護して、無事に見送った私の本音です

だからといって決して『面倒を見なくて良い』とか言っている訳ではありません
親のお世話をさせて頂くことで、人生について理解が深まることも多々ありますし、やがては自分にもやってくる『老い』や『命』『生死の問題』について考えるきっかけにもなります。でも『何を置いても介護をしなくちゃいけない』『介護をさせられている』と思ってしまうと、苦しい部分だけがクローズアップされてしまって、自身に余裕が無くなり、難行苦行の介護になってしまうのです。

そこでこの刺激的なフレーズ!『介護は親の為に非ず』。この句には続きがありまして、『見送ったあとで後悔しない程度に頑張るべし』となります。

 

介護は、特に親御さんに認知症の症状が出てくると、面倒をみる子供さんに取って精神的な負担がとても大きくなります。自身の生活や家族へのシワ寄せ、経済的な問題など、悩みは尽きないものですね。しかも相手は『育ててもらった親!』。自身の生活を守ろうとすると、『親なのだから、自分の生活を犠牲にしても尽くすのが当たり前?』そんな考えが心を刺します。周囲からも『親を見るのは子供の責任』的な暗黙のプレッシャーが有りますよね。

当の親は認知症の影響で、有ること無いこと訳の分からないことを言うし、ウソつくし、我が儘言うし・・・思わずキーッとなって酷いことを言ってしまったり。自身も年齢を重ね、体力的にしんどくなってきます。日に日に出来ないことが増えて行く→症状が進むわけですから、お世話の度合いも次第に重くなってくる訳です。釈阿理自身も『一体この先どうなってしまうのかしら?』と言う不安に何度も何度も襲われました。

釈阿理は30代の頃、事故で瀕死の重症を負った家族のお世話をした経験があります。仕事も忙しい時期でしたが、片道1時間半掛かる病院に2ヶ月通いました。夜遅く病院から戻ってまた仕事。事務所の床にプチプチを広げて仮眠を取ったことも数知れず・・・。そんな苦しい日々を支えてくれたのは、『このまま死なれたら想いが残ってしまいそうだなぁ』という一念でした。このまま彼が亡くなっても、『出来ることはやったのだからまぁ仕方ないのかな』と思えるところまでは頑張ろうと考えたのです。結果として彼は生還しましたが、重い高次脳障害の後遺症が残り、釈阿理を拒否するようになってしまいました。『あんなに面倒見てあげたのに!』と少々頭にきましたが、それでも『まぁ出来る事はしてあげたのだから仕方無いかな』と思うと、案外心にわだかまりも残らず、乗り越えることが出来ました。

そして十数年後、今度は親の介護が始まりました。最初はとにかく勉強。親の状態、認知症について等、本を読み漁ってとにかく正しい知識を頭に詰め込みました。すると医療者の方や介護専門職の方々と、お話が噛み合うようになるのです。しかし症状が進むに連れて必要なサポートは増大しますから、子供としてサポートに要する時間も手間もどんどん増大してゆきます。

実際のところ、釈阿理はこの親の介護のために、長年生業としていた建築設計事務所を解散しました。緊急で親の元へ駆けつけなければならい事が増えて、事業を続けることが困難になってしまったのです。あぁ悲しいかな、これが今で言うところの介護離職だったのですね。本職を手放しても食べてゆくためにサイドビジネスだけは続けていましたが、収入は激減!削れる費用は全部削って転居して、本当に苦しい生活になりました

そんな時、ふと思いついたのが件のフレーズ。『介護は親の為に非ず、あとで後悔しない程度に頑張るべし』どこまで自身の暮らしを犠牲にすれば良いのか解らなくなってしまった時は、これで線引きすればOKこの句を呟いて見ると、不思議と少し客観的な視点で考えられるようになります。多分『あとで後悔しない程度』を考えるには、今の自分から少し離れてみる必要があるからなのでしょうね。30代の時の経験が、このフレーズを届けてくれたのだと思います。

介護をなさっている皆さん、苦しくなってしまったら、是非この魔法のフレーズを呟いて見てください。『あとで後悔しない程度に頑張るべし』即ち『介護は自分のため』なんですねここで大変でも、苦しくても、しっかり親と向き合うことで、生きる事、死ぬこと、老いること、病と共にあること、としっかり向き合うことになりますそしてそれは紛れもなく親と過ごす最後の時間でもあるのです。

観音経の中に『生老病死苦』というフレーズがあります。きっと苦しい順に四つ並んでいると釈阿理は思っていますが、介護を通して、向き合うのも四つの『苦』『老人の最後の仕事は、次の世代に死に様を見せること』と仰ったのは、数多くのお年寄りを看取られた中村仁医師ですが、釈阿理も全く同感です。
老いは誰にでもやってきます。50歳を過ぎれば、次第に出来ないことが増えて行きます。上昇志向の強く優秀な方ほど、この現実は受け入れ難いでしょう。
でもそれが現実なんだなぁ~。だとすれば『今』が大事。『今日が一番若い日』ですからね。それを教えて頂くのが介護です

そして釈阿理は親を見送ってどう思ったか?
母の時も、父の時も、『あぁ終わった~!責任果たしたぞ~!』そして親に対しては『長い人生よくがんばったよね、本当にお疲れ様でした。』と思いました。
お陰様で強い後悔を感じたことはありません。もちろんどんなに尽くしても『もう少し出来たかな?』の思いはゼロにはなりませんしかし『あの時は出来る範囲で最善の選択をしたつもり』と思えれば、自身で納得できるように思います

初夏の気持ちの良い季節。心にも薫風を取り入れて素敵な時間をお過ごしくださいね。
あなたに神仏のご加護がありますように!

釈阿理 合掌
 


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