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釈阿理のひとり言

生きることは食べること(その2)

2022年10月31日

前回と今回のお話で、釈阿理が皆様にお伝えしたかったことは『命は命をもってしか養えない』ということ。即ち『生きることは命を頂くこと』と言うことなんです。前回は『生きることは食べること』という部分までお話しましたね。では食べるとはどういうことでしょう。人間に限らず生き物と呼ばれるものたちは、魚類も陸上の野生動物たちも、食物連鎖に従って、みな他の命を頂いて自らの命を養っています。唯一植物だけは、一部の食虫植物を除き、光と水を使って光合成によりエネルギーを自己産生し、他の命に頼らずに生きています。がしかし、その代償として彼等は移動の自由を手放しているのです。

文明や科学が進んだ現代でも、植物たちが光合成でエネルギーを生み出す仕組みは十分に解明されていません。これを解明できたらノーベル賞間違い無し!らしいです。そんなスーパーな特技を持った植物たちでも、光と水だけで産生出来るエネルギー量は小さく、動き回るには到底足りないとのこと。そこで彼等は移動する事を諦める代わりに、水と光だけあれば生きていけると言う能力を身につけたのでしょう。これは他の生き物が生息不可能な荒れ地でも、水さえ有れば真っ先に住み処として占領出来ると言うメリットも兼ね備えていました。

 
植物たちの話はさておいて、動く物を食べると言う事は、即ち他の命を頂くということになりますね。食事の時に『頂きます!』と言うのは『命を頂きます』の意味だと言う説もあります。『命を頂く』とは、はっきり言って『殺す』ということです。昨今は野生のライオンなど肉食動物が、獲物を狩り食べる様子を映像で見る機会も増えてきました。一部には『残酷表現だ!』との批判もあるようですが、私は残酷でも見なければいけない現実だと思います。

現代の私たちの生活では、肉も魚も食品として高度に加工された状態で手にすることが殆どです。丸物の魚や荒巻鮭を捌くことが出来る家庭は今や少数派でしょう。元の形を知らずに食べていることの方が普通になってしまったように思います。もちろん、命を頂いて自分の命を維持しているのは人間に限ったことではありません。昆虫や草食動物たちと言えども、植物の葉や根、実、花や蜜などを頂いて命を繋いでいる訳ですから、植物の身体や大切な子種を頂いて生きているのです。

このように考えると、この世の仕組みは残酷物語?みたいな話になってきますが、しかしこれこそがが生きると言う事の現実生き物にとって決して逃れられない掟です『私』が今日まで生きてきた中で、いったい幾つの命を頂いて来たのでしょう?スプーン1杯のシラス干しを数えてみたことがありますか?いやいやみなさん大好きなイクラだって、受精すれば1粒から1匹の魚が生まれてきます。お米だって然り。そんな数え切れない程たくさんの命は、全て現在の『私』の中にあって、『私』を構成し、『私』の命と共に今も生き続けているのです

だからこそ、命は尊くて、愛しくて、切ないものなのだと思います。『私』の命は決して私だけのものではありません。『私』とは、これまで頂いて来たたくさんの命の集合体であり代表者なのです。

人生生きていれば苦しいことも、頭にくることも、辛いことも、時には自暴自棄になることもあるでしょう。そんな時にはこの視点に立ち返ってみてください。そしてご自身の中に有るたくさんの命たちの時間を大切に生きて欲しいなと思いますどんなに孤独でも『私』は決して一人ではないのですから

こんな風に考えて見ると、頂いた命は無駄にせず、十分に生かすこと、そして無駄に命を頂くことの無いよう配慮をしようと思いますよね。殺生が全ていけないのではなく、不必要な殺生をしてはならないのだと思います。

さて、今夜あなたは何を食べますか? お皿の上の食べ物に『今日から私の一部になるの。よろしくね!』と念じて、その食材が生き物だった気配を感じてみてください。自然と感謝の気持ちがわき上がってきますよ!。

あなたの一日が素敵な時間でありますように!
釈阿理 合掌

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